別府別院のご紹介

 別府別院は浄土真宗本願寺派の直属寺院です。直属寺院とはご本山以外の寺院で、ご門主が住職となる寺院のことを言います。日本各地に所在し、北海道の札幌別院・東京の築地別院・大阪の津村別院・鹿児島の鹿児島別院など47の別院があります。
 歴代ご門主の特別の由緒によって設けられた別院も多く、特に別府別院は第22世ご門主鏡如上人ゆかりの別院でもあります。
 別院はご本山の統轄のもと、地方において浄土真宗のみ教えをひろめ、法要・儀式を行い、ご門徒その他の信者を教化育成するための中心道場としての役割をもっています。
 年間の主な行事としては、毎月5・6日の常例法要、毎月15・16日の恒例法要、4月のご正忌報恩講、10月の鏡如忌等があります。
 別府別院の沿革は比較的新しく、説教所の設立にはじまります。大分教区はもともと、南豊教区(豊後)と北豊教区(豊前の一部)が合一されたもので、明治30年代後半、南豊教区には別院は存在せず、間借りの教務所(教区事務所)のみでありました。
 北には宇佐の地に四日市別院がありましたが、地理的に県南からは参詣に非常に不便さを感じていました。
 そんな昭和6年頃、別府市は南豊教区の地理的中心地にあり、かつ国内でも有名な温泉地であったため、本願寺説教所設立の原案が当時の有力者の手によってなされ、時あたかも勝如上人(大谷光照前ご門主)伝灯奉告法要の記念事業として建設することとなりました。
 設立当時、説教所には門徒といえるものは一戸もなく、門徒に募財をしての建設ができない状態であったため、大変な苦労があったといいます。そのためか本堂は、大分県立鶴崎工業高校の生徒の教科実習として建築されました。記録によると、竣工式は昭和7年7月3日とされています。

 
その後、昭和18年に本願寺別府教堂と改称、昭和19年4月に一県一教区で大分教区となりました。別府別院と改称されたのは昭和24年5月2日のことで、昭和23年10月5日、病気療養のため別府鉄輪の地におられた第22代ご門主大谷光瑞(鏡如)上人がご往生され、現本堂にて仮葬儀(おそらく通夜)がいとなまれたことが由縁となっております。
 そのため、当別院は鏡如上人のご分骨を納骨所にご安置し、上人のご遺品、ご遺墨等を陳列する大谷記念館が併設されています。